- 越谷市の歴史に興味がある!
- 御殿町にある2つの指定文化財を見に行ってみたい!
学校の課題などで、越谷市の歴史を調べることになった!なんていう人は、このようなことを考えることもあるかもしれませんね!
私は初めはあまり、興味も無かったのですが、指定文化財を調べていくうちに、越谷市の歴史が見えてきたりして、面白く感じてきました。
この記事では、越谷市の御殿町にある2つの指定文化財を紹介していきます。
記事の中で、直接見に行く際の交通手段についても記載しているので、行く前には確認してみてね!
この記事を書いた人
越谷市最古の板碑!建長元年板碑とは?
この項目でわかること
- 『板碑』がどういうものかがわかる!
- 越谷の指定文化財の建長元年板碑の特徴がわかる!
御殿町にいかにも文化財!というような石碑があります。
調べてみたところ、それが建長元年板碑でした。
そもそも、板碑が何なのか?他の板碑とどう違うのか?
私自身が疑問に感じた内容を調べてみました。
お墓なのかな?とも思ったけど、どうやらすこーしニュアンスが違うみたいだよ!
実際に見てみないとイメージが湧きづらいだろうけど、読んでみてね!
板碑って何?
建長元年板碑と聞いても、そもそも『板碑』って何?と思う人も多いのではないでしょうか?
板碑とは塔婆(冥福を祈ってお墓の後などに立てる木の板のこと)の一種です。
死者の追善(死者の冥福 を祈って、生存者が善根を修めること。)などのために作られた供養塔だと言われています。
主に鎌倉時代〜安土桃山時代にかけて作られていました。
真ん中に書かれているのは古代インドのサンスクリット文字である梵字というものなんだって!
梵字には宗派が関係していて、この板碑には阿弥陀如来のキリークが彫られているんだ!
梵字をなぞって書くと、運気がアップする!って言う人もいるんだよ!
建長元年板碑の特徴
御殿町にある建長元年板碑は、市内では最古にして最大の板碑だと言われています。
750年以上前の鎌倉時代に作られたと紀年銘が刻まれており、大きさは縦155cm、幅56cm!
秩父で採取した『緑泥片岩』という、薄く剥がれて加工しやすい石で作られています。
埼玉県は全国の中でも、板碑がたくさん残っているんだって!
家康が越谷市に作った!御殿跡とは?
この項目でわかること
- 『越ヶ谷御殿』が何なのかがわかる!
- なぜ今、越ヶ谷御殿は無いのか?がわかる!
学校でもあまり越谷市の昔について勉強することは無かったように思えます。
最近になって、越谷の歴史を調べていて、越谷には大きな御殿があり、そのことが発展の引き金になったということを知りました。
その御殿があったことを残す『御殿跡』について、歴史が苦手な人でもわかる範囲の内容をピックアップして解説していきます!
越谷市は元々。宿場町として栄えたんだよ!
そのことについて、もっと詳しく知りたい人は『越谷市の歴史!イラスト付きの【3項目】で解説!』を読んでみてね!
越ヶ谷御殿ってなんなの?
越谷御殿跡と書いてあるけど、越谷御殿って何?
慶長9年(1604)に徳川家康が作った御殿が『越ヶ谷御殿』です。
元々、増林にあった御茶屋御殿を越ヶ谷郷に移し、壮大な御殿を築いたことで完成しました。
広さは6ヘクタールもあったと書かれています。
(1ヘクタール=10000m2)
60000m2というと、東京ドーム1.2個分!
かなりの広さがあったことがわかります。
昭和47年10月25日に指定文化財として登録されました。
家康や秀忠は、ここに訪れて鷹狩をしていたという記録が残っているんだって!
なぜ御殿跡地になったの?越ヶ谷御殿の今!
今御殿の建物が無いのはなんで?
御殿跡の石碑だけ見ると、そんな疑問が沸く人も多いのではないでしょうか?
そのことについても、石碑横に記載されていました。
そこには、明暦3年(1657)年の江戸大火によって江戸城が全焼。
消失に伴い、越ヶ谷御殿を急遽、江戸城二の丸(現在の大手町の駅側)に移した。
という内容が書かれていました。
『御殿町』という名前は、見てわかる通り、越ヶ谷御殿があったことの名残りで今も変わらず地名として残っているのです。
御殿町の文化財へのアクセス詳細
この項目でわかること
- 建長元年板碑、御殿跡それぞれの住所や交通手段がわかる!
板碑も御殿跡も、観光地として作られているわけではないので、見に行きやすい!とは言いにくい環境にあるのが現状です。
行く前には、この記事やGoogleマップを見て、どの交通手段を使って現地へ行くのかをシュミレーションしてから行くようにした方がいいでしょう!
僕は自転車で行ったから、2箇所をスムーズに回れたよ!
建長元年板碑への行き方
住所:越谷市御殿町3-36
最寄駅は北越谷ですが、歩いて1.6kmほどあります。
車で行くのは、近くに専用の駐車場がないので、あまりオススメできません。
近くでコインパーキングを探してみましたが
- サニーパーク越谷御殿町1(御殿橋をまっすぐ)
駐車台数5台 - ナビパーク東越谷第1駐車場(〒343-0023 越谷市市東越谷5丁目17−57)
駐車台数6台
この2つくらいしか見つけられませんでした。
ちなみに、サニーパーク越谷御殿町1は、板碑からすぐの場所にありますが、ナビパーク東越谷第1駐車場は板碑まで約650メートルほどの距離でした。
御殿跡の行き方
住所:越谷市御殿町3番周辺
先ほどの建長元年板碑から道に沿って50メートルほど歩いたところに『越ヶ谷御殿跡』はあります。
板碑と比べて、石碑が大きかったり、周囲に囲いがあったりと、見つけやすいので、住所で検索してもざっくりしか出てきませんが、建長元年板碑の住所で調べれば、すぐに見つけることができます。
最寄駅や、駐車場に関しても、建長元年板碑と同じで、北越谷から徒歩1.6kmで、駐車場も先ほどと同じコインパーキングを使用するのがいいでしょう。
車で板碑まで行っちゃうと、通りぬけができない狭い道に突き当っちゃうから、車でいく人は、必ずコインパーキングを探してから板碑まで行くようにした方がいいよ!
越谷市の御殿町にある2つの指定文化財のまとめ
この記事のまとめ
- 越谷の御殿町には2つの指定文化財がある!
- 建長元年板碑の『板碑』は、供養塔として作られた。
- 建長元年板碑は、越谷市内で最古にして最大の板碑。
- 御殿町の『御殿跡』は、昔、徳川家康が御殿を建てた場所の跡地。
- 6ヘクタールもの巨大な御殿だった。
- 江戸が火事で焼けてしまった際に、越ヶ谷御殿を江戸に移したため、御殿は越谷には無くなり『御殿町』という名前が残った。
- 御殿町の文化財へ行く最寄り駅は北越谷だが、歩いて1.6kmある。
- 車で行く場合は、近くのコインパーキングを探して駐める必要がある。
御殿町の文化財はたまたま、近くに2つ並んでいるので、近隣に住んでいる人にとっては見にいきやすい環境でした。
ただし、電車や車で見にいこう!という人には、かなり不便な場所にあるのがデメリットかもしれません。
今回の御殿町の文化財を実際に目にして、調べてみることで、越谷市と昔の風習や、歴史上の人物との繋がりが少し見えて、楽しさを感じました。
もし近くを通ったら、1度見てみるのも良いかもしれません。
越谷市には、御殿町以外にもたくさんの指定文化財があるから、また調べたら記事にするね!